ポピュラー・ミュージックの世界でも同様なことがあり、アメリカの有力な音楽業界誌 Billboard が毎週発表しているヒット・チャートでNO.1になった曲がたいへん有名&人気になり、いつまでも聴き継がれていくのに対して、NO.2止まりだった曲はあっさりと忘れ去られたりするものです。
ということで、ビルボード・ホット100で最高第2位だった曲にスポットライトを当てる『愛しのNO.2ヒット』という企画が立ち上がったのです🎵
愛しのNO.2ヒット第1号は、1970年代最初のNO.2ヒット、「ヘイ・ゼア・ロンリー・ガール」です。この曲はヴァージニア州出身の、魅惑のファルセット・ヴォイスを持つR&Bシンガー、エディ・ホウルマンが全米トップ40に入れた唯一のヒット・シングルであり、彼は後にも先にもこの「ヘイ・ゼア・ロンリー・ガール」で名を残した一発屋と言えるでしょう。
さて、この曲はエディ・ホウルマンのオリジナルではないのです。1950年代に The Supremes というオハイオ州出身のR&Bコーラス・グループがいました。もちろんモータウンのあの人たちとは全く別の、男ばかりの4人組。
彼らはデビューはしてみたものの全然売れなかったので女性ヴォーカリスト Ruby Nash をリードに据えて、グループ名も Ruby & The Romantics と変えて再スタートしてみました。すると、いきなり「Our Day Will Come」(1963 - 全米1位) が売れてしまいました。
彼らの3枚目のシングル・ヒットとなった「Hey There Lonely Boy」(1963 - 全米27位) を、ヴォーカリストの性別の関係もあってタイトルと歌詞の一部を書き換えてカヴァーしたのが「ヘイ・ゼア・ロンリー・ガール」で、この極上のスムーズ・グルーヴがオリジナルを超える大ヒットとなったわけです。
エディ・ホウルマンは60年代に The Delfonics やら The Stylistics やらとともにツアーを回っていたりしていたこともあり、フィラデルフィア・ソウルの香りが強いですね。ソロ名義のヒットではありますが、バック・コーラスとの掛け合いも美しいし、ホーン・セクションやストリングス・セクションもすごくイイ!
このシングルは69年のリリースで、12月27日付でビルボード・ホット100の73位に初登場しました。ということは登場2週目から70年代に入ったわけですが、3週目に35位でトップ40入り、7週目にはトップ10入り (7位)、そして9週目に2位に到達しました。
この曲の頭上に立ちはだかったのは Sly & The Family Stone の「Thank You (Falettinme Be Mice Elf Agin)/サンキュー」で、まさに「1位を譲ってくれてありがとう」と言いたげな皮肉なタイトル。そして Simon & Garfunkel の「Bridge Over Troubled Water/明日に架ける橋」などの強豪に追い抜かれ、たった1週間2位にいただけで翌週は4位へと後退してしまいました。
それでも曲の良さが評価されて、とても立派な成績だったと思います。愛しのNO.2ヒットにはそれぞれ歴史というか経緯があるものなんです。
さて、この曲はさらに多くのアーティストにカヴァーされているのですが、ちゃんとヒットしたと言えるのがこちらです。
当ブログでは、私が持っているレコードやCDの中から、こうした「聴き比べ企画」も上げていきます。
ロバート・ジョンこと Robert John Pedrick, Jr. は、ニューヨーク生まれのシンガー・ソングライターで、この人もまた得意のファルセットを活かして、72年には「The Lion Sleeps Tonight/ライオンは寝ている」(全米3位 ★ミリオン・セラー)を、79年には「Sad Eyes」 (全米1位 ★ミリオン・セラー、全英31位)をヒットさせています。
「ヘイ・ゼア・ロンリー・ガール」は80年のアルバム『Back On The Street』からの最初のシングルで、ひょっとしたら女性が歌っているのではないかと勘違いしてしまうほど美しいファルセットが特徴です。
こちらのヴァージョンはビルボード・ホット100では最高31位止まりでしたが、同じくビルボードのアダルト・コンテンポラリーでは最高第10位と見事なヒットとなりました。
4コメント
2019.09.28 06:51
2019.09.28 00:47
2019.09.27 11:43