最初にお断りしておくと、70年代のディスコ・サウンドをお求めの方にとっては時間の無駄になります(^^)
1967年の夏、ビージーズが世界に向けてデビューしました。
ビージーズの中核を成しているのは Barry, Robin, Maurice の Gibb三兄弟でした。長兄の バリーが1946年生まれで、双子の兄弟のロビンとモーリスが1949年生まれ。彼らは生まれはイギリスで、まだ幼かった50年代から音楽活動を始めていました。
58年、年齢の離れた末弟 Andy が生まれた直後、彼らは両親とともにオーストラリアに移住することになります。オーストラリアで3兄弟はレース場でレースの合間に歌を披露していました。そんな姿がレース場経営者の Bill Goode の目に留まり、彼が友人のDJである Bill Gates に3兄弟を紹介したことがきっかけとなって、彼らはテレビ番組にレギュラー出演するなどある程度の人気者になることができました。ビージーズというグループ名は、そんなオーストラリア時代の2人の恩人の頭文字から付けられたと言われています。
オーストラリアでのレコード・デビューは1963年。爆発的に売れたわけではありませんでしたが、そこそこの成績を残していました。
1967年になってから、3兄弟はイギリスに戻ることを決意して両親を説得し、書き貯めた曲を持って2月に久しぶりの帰国。ロンドンで、後にRSOレコードの社長になる Robert Stigwood のオーディションを受け、5年間のマネージメント契約を結びました。彼らはそのままロンドンでレコーディングをしてシングル、アルバム発売にこぎつけました。
以上の経過により、あらためて世界に向けたデビュー・アルバムがこちらになります。
画像はUS盤LPレコードです。当時日本で発売されていたものはジャケットのデザイン違いでしたが、残念ながら私は持っていません(><)
このアルバムのリリース時はメンバーは5人。
- Barry Gibb (vo, g)
- Robin Gibb (vo, organ)
- Maurice Gibb (vo, b, g, p, key)
- Vince Melouney (g)
- Colin Peterson (ds)
の体制でした。当時の彼らは、ロビン・ギブ、モーリス・ギブが17歳、バリー・ギブとコリン・ピータースンが19歳、ヴィンス・メローニーが21歳とまだまだ「超若~い」グループでしたね。
ビッグ・ネームの世界に向けたデビュー・アルバムなので、「大器の片鱗を感じさせる」とか書きたいところですが、なんとファーストから大ヒットしてしまいました(^^)
『ザ・ビージーズ・ファースト』を聴いて驚くのは、彼らの音楽性の豊かさです。「超若~い」が作った割には、Herman's Hermits の Peter Noone のような鼻にかかったヴォーカル・スタイルを取っているにもかかわらず、お手軽なバブルガム・ポップにはなっていない。
一方、60年代中盤から後半にかけて世界を席巻していた The Beatles の影響を明らかに感じさせる曲はあるものの、当時のポピュラー・ミュージックの世界的な潮流として見られた「ビートルズの後追い現象」に呪縛されるところまでは行っていない。
つまり、彼らが何度とない危機を乗り越えて、長年にわたって音楽界で生き残ってこられたのは、「時代を読む力」と「自分たち独特の音楽性」が共存していたからだと言えるのではないでしょうか。
Side-A
1 Turn Of The Century
2 Holiday (1967 - 全米16位、オリコン84位)
3 Red Chair, Fade Away/想い出の赤い椅子
4 One Minute Woman
5 In My Own Time
6 Every Christian Lion Hearted Man Will Show You/ライオン・ハーテッド・マン
7 Craise Filton Kirk Royal Academy Of Arts/ロイヤル・アカデミー・アーツのクレイズ・フィントン
Side-B
1 New York Mining Disaster 1941/ニューヨーク炭鉱の悲劇 (1967 - 全米14位、全英12位)2 Cucumber Castle
3 To Love Somebody/ラブ・サムバディ (1967 - 全米17位、全英41位)
4 I Close My Eyes/瞳を閉じて
5 I Can't See Nobody/誰も見えない
6 Please Read Me
7 Close Another Door
A-1 「ターン・オブ・ザ・センチュリー」はポップだけれども物悲しいメロディが心に残る曲。上品なメロディにコーラス・ワークが完成されているのは、オーストラリアでの経験が生きているのでしょう。ちょっとサイケデリックな、ストリングス・セクションやホーンの音につい惹き込まれてしまいます。
A-2 「ホリデイ」は、切ないメロディに切ない歌い方のロビンのヴォーカルが光るバラード。サビメロで前に出てくるスネアドラムが印象的です。全米ではサード・シングルとして、ビルボード・ホット100で最高16位を記録しました。ちなみに Madonna の「Holiday」とは全然別の曲ですが、最高位は同じ16位でした。
A-3 「想い出の赤い椅子」は60年代らしいサイケデリック色が強いロック・ナンバー。このあたりは書き貯めたストックではなく、ビートルズも意識して新しく作った曲だと思われます。
A-4 「ワン・ミニット・ウーマン」はバリーの語りかけるようなヴォーカルが心に染みる曲。移り気でなかなかこちらを振り向いてくれない女性に対してひざまずくなんて、私にはなかなかできませんから、そんな時には相手にこの曲を送りましょう(^^)
A-5 「イン・マイ・オウン・タイム」は明らかにビートルズを意識したポップ・ロック。彼らは『Revolver』をよく聴いていたんだろうな(^^) ちなみにLPレコードの裏面の曲目では「In My Own Good Time」と印刷してありますが、レーベル面や後のCDでは「In My Own Time」となっていて、表記の乱れが見られます。
A-6 「ライオン・ハーテッド・マン」には彼らの音楽性の豊かさが表れています。全体としてはサイケなロック・ナンバーですが、出だしや間奏部で登場するユニークなコーラスはグレゴリアン・チャントそのもの! この曲は特にシングル・ヒットはしていませんが、こういう独自性のあるサウンドづくりこそ、数多の「ビートルズ亜流バンド」たちの中から彼らを生き残らせた原動力と言えるでしょう。
A-7 「ロイヤル・アカデミー・アーツのクレイズ・フィントン」もビートルズ・サウンド、特に Paul McCartney の色合いが強いと言える曲。バックは、モーリスが演奏する実に心惹かれるピアノだけというシンプルなアレンジで、アルバムの中で異彩を放っています。ロビンが一人でリード&ハーモニー・ヴォーカルを担当していて、ソロに近い曲ですね。
レコードをひっくり返しましょう。B面トップの「ニューヨーク炭坑の悲劇」は、全米デビュー・シングルとなったナンバー。ビルボード・ホット100で最高14位、UKチャートでも最高12位と大西洋の両側でヒットしました。切ないマイナー・メロディの部分と弾むようなビートが入る部分の対比がくっきりとしていて、メリハリがあるのがイイです。
B-2 「キューカンバー・キャッスル」はサイケデリック色が強いです。中世の架空の城に想いを馳せて作ったストーリーは、サイケデリック時代らしい空想の産物。ロビンによれば当時はこういう曲を歌うのが大流行していたとのことです。Bill Shepherd によるオーケストラ・アレンジが決まっていますね。ちなみに3年後、ビージーズは同名のアルバムをリリースしますが、この曲は収録されていません。
B-3 「ラヴ・サムバディ」は間違いなくアルバムの中で最も輝いている曲でしょう。イントロを聴くと「ああ、これこれ!」と安心しますよね~。優しくて美しくて切ない、初期のビージーズの持ち味がよく出た曲です。セカンド・シングルとしてカットされた「ラヴ・サムバディ」はビルボード・ホット100で最高17位と健闘しました。Janis Joplin, Al Green, Rod Stewart らの名唱の原点はここにあった♪
B-4 「瞳を閉じて」は「間隔を置いた2連打」のビートが耳に残るアップ・ナンバー。ビートルライクでありながらアレンジがなかなかユニークでオリジナリティを感じさせます。オルガンやフルートなどを上手い具合にフィーチュアしているんですよね~!
B-5 「誰も見えない」はロビンのヴィブラートの利いたヴォーカルが泣かせるバラード曲。終盤の盛り上がりはけっこう感動的だと思うんですよね~。この曲は66年に書かれたもので、アルバムの中ではかなり初期にレコーディングされました。というのも、シングル「ニューヨーク炭坑の悲劇」のB面に収録されることになっていたからです。
B-6 「プリーズ・リード・ミー」はバリーの優しいヴォーカルと丁寧に重ねられたコーラスが特徴のミドル・ナンバー。ドラムスのコリンがリズムトラックの補強にトムトムを叩いているのが、合間合間でよく聞こえてきます。ハーモニー・コーラスを注意深く聴くとファルセットが! これが記念すべきビージーズ初のファルセットという歴史的な瞬間です!
ラストを飾る「クローズ・アナザー・ドア」は「サッド・パート」と「ポップ・パート」から構成される意欲的な作風の曲で、この曲によってアルバムの最後の雰囲気がぐっと引き締められます。ア・カペラで始まる「サッド・パート」でいきなり心を鷲掴みにされ、淡々とした「ポップ・パート」との対比に虚を突かれ、以下その両者の間を行ったり来たりして翻弄されるのが心地よいんですよね。ラストはロビンが伸びやかに、そしてかなり自由に歌うパートで締めくくられます。
このリイシュー版はCD2枚組で、1枚目にはオリジナル・アルバムのステレオ・ヴァージョンとモノ・ヴァージョン計28曲が、2枚目には各楽曲の未発表ヴァージョンや未発表曲が収録されていました。特にCD-2は貴重な音源がいっぱいで、ビージーズ・リスナーにとっては嬉しいリリースとなりました。
CD-2 Track
01 Turn Of The Century [Early Version]
02 One Minute Woman [Early Version]
03 Gilbert Green
04 New York Mining Disaster 1941 [Version One]
05 House Of Lords06 Cucumber Castle [Early Version]
07 Harry Braff [Early Version]
08 I Close My Eyes [Early Version]
09 I've Got To Learn
10 I Can't See Nobody [Alternate Take]
11 All Around My Clock
12 Mr Wallor's Wailing Wall
13 Craise Finton Kirk Royal Academy Of Arts [Alternate Take]
14 New York Mining Disaster 1941 [Version Two]
アウトテイクをさらっておくと、
③「ギルバート・グリーン」はロビンとバリーが掛け合いで歌う切なげなメロディが良い曲。エンディングのインスト・パートは本来は「The End of Gilbert Green」という別クレジットらしいです。もう少しアレンジを施せばシングル・ヒットもだって待できるクォリティだと思うんですが、アルバムから外れたのが不思議です。
⑤「ハウス・オブ・ローズ」はストリングスとハープシコードが入ったユニークな小品。The Monopoly なるバンドのシングル用に提供された曲のようですが、詳細は不明です。
⑦「ハリー・ブラフ」はビートルズの影響を強く感じさせるロック・ナンバー。シングル用にレコーディングされたようですが、結局リリースされず。ところがどっこい次のアルバムで再レコーディングされて息を吹き返しました。
⑨「アイヴ・ガット・トゥ・ラーン」は極めてロック色が強い曲。ギターのリフに導かれてヴォーカルがシャウトしているビージーズなんて、なかなか聞けませんよね。この曲がアルバムに入っていたら、存在感が際立っていたことでしょう。
⑪「オール・アラウンド・マイ・クロック」は弾むようなリズムの楽し気な曲ですが、メロディの進行にちょっとした無理があるような気も。
⑫「ミスター・ウォローズ・ウェイリング・ウォール」はミュージカルの一コマを切り取ったようなユーモラスな曲。ある意味ノヴェルティ・ソングのような作りは彼らの音楽性の幅広さを感じさせますが、その振り幅が広すぎて、アルバムにはそぐわなかったものと推察されます。それでも私としてはとても好きな感じ🎵
モーリスが2003年に53歳で、ロビンが2012年に62歳でそれぞれ亡くなっています。ビージーズのメンバーではありませんが末弟のアンディも1988年にわずか30歳で亡くなっているので、現在は長兄のバリー(73歳)だけが残っています。バリーには長生きしてもらって、新作のリリースや他のアーティストのプロデュースなど期待したいところですね。
8コメント
2019.09.19 22:02
2019.09.19 14:54
2019.09.19 07:24